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野菜作りや温泉などの日常の出来事を綴ったつれづれなるままの日記です。ズボラで手抜きの勝手に菜園ですが、よろしくお付き合いください。
 戦国の風雲児 立花宗茂
2012年03月22日 (木) | 編集 |
島津の軍勢は五万、父である大宰府の高橋紹運は、700名で岩屋山にて抗戦。
二週間持ちこたえ、島津に五千名の損害を与えたといいますが、多勢に無勢
全員討ち死に・・・
息子である立花宗茂の守る立花城の運命もこれまでかと思われましたが
奇策を用いて、島津軍を翻弄。時間を稼いで秀吉の応援を待つ作戦に出ました。

攻めあぐんだ島津の軍勢は、撤退し、秀吉の応援が到着する前に
父の岩屋城まで奪還したのでした・・・

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↑立花家資料館も、御花見学のチケットで入れます。

お嫁さんが来られるまで少し時間があるようでしたので・・・

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↑勇猛な武将としてだけでなく、立花家にはさまざまな花のある品々が伝えられているようです。

立花宗茂は、秀吉に認められ、大友家から独立して柳川13万石の藩主となったのです。
その後、関が原の戦があり、秀吉に恩顧のある宗茂は、西軍に味方をしたものの
西軍が敗れて、撤退しますが、その際、兵のほとんどを失った島津義弘に対し、
父の敵を討つことも出来たのですが、「敗軍を討つは武士の誉れならず」と
逆に道中、島津の護衛をしながら九州に戻ってきたといいます。

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↑当時は高級な乗り物だったんでしょうが、確かに狭いですよね・・・

関が原で西軍についたことから、領地を失い、浪人になるわけですが、主従ともども一体となって
この難関を乗り越えていきます。
加藤清正の信が厚く、一時は肥後に身を寄せますが、やがて家臣と京都や江戸で暮らすことになります。
当然、収入が無いわけですから、家臣が肉体労働や虚無僧をしながら、主君を支えていきました。
そんな中、江戸で徳川の二代目将軍である秀忠の信を得たことから、関ヶ原で西軍に属したものの
奥州棚倉(福島県)一万石の領主として大名として返り咲くことができました。
また、大阪夏の陣では秀忠の参謀として参戦し、旧領地である柳川藩を取り戻すことができたのです。

九州においては、全ての大名豪族が、豊後の大友家の家臣でさえも裏切って島津に服従する中、
父である高橋紹運と二人で大友家への義を貫き通し、
関ヶ原では天下の流れは徳川と分っていながらも、豊臣秀吉への恩顧のために義を貫き、
そしてまた、大名に取り立てられた徳川家への恩義のために義を貫いた武将でした。

関が原で領地を失って、取り戻すことが出来たのは立花宗茂が唯一と言われています・・・
まっすぐに戦乱の世を生きた、信義の厚い武将だったようです。
そしてまた、花を愛し、民を愛し、家臣を愛した、そして愛された戦国の風雲児が
立花宗茂公です。


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↑婚礼の調度品だそうです・・・


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↑なんじゃこりゃ~

起き上がりぼうしらしいえすが、これだけ小さいとは・・・五ミリのもあるそうです・・・

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↑だそうです・・・(^_^;)


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↑お雛様ですが・・・

調度品というか、道具がすごいです。シルバニアファミリーも真っ青~



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↑殿様ならではですよね。庶民ではこんなもの持てなかったでしょう



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↑これは同じ貝を合わせる、遊びの道具ですよね。

本物は大きな蛤ですよね。これはシジミで作ってあるようです・・・


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↑カルタはここにありました~

インドネシアの人も大好きらしいですよ、ジャ~カルタ・・・

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↑なんとも、この芸の細かさにはビックリです



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↑お魚もあります~

そうそう、写真撮影OKなんですよ~ ありがたいですね~(^_^;)

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↑あわびやらイセエビもある~



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↑立花家に伝わる植物図鑑です。

これはミニチュアじゃなく、本物サイズでした~


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↑もちろん武将ですから、鎧兜もあります・・・



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↑童門冬二さんの本もありました。宗茂公についての本、こんなにあるんだ~



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↑さてさて、水郷柳川の嫁入りです。続く~(^_^;)


まだまだ、引っ張りますよ~ よろしく~



























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