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野菜作りや温泉などの日常の出来事を綴ったつれづれなるままの日記です。ズボラで手抜きの勝手に菜園ですが、よろしくお付き合いください。
 朝倉と中大兄皇子
2012年04月07日 (土) | 編集 |
ご神木もありました・・・

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↑よ~く読むと母の斉明天皇を弔うためとあります・・・

当時、朝鮮半島は百済・高句麗・新羅の三国に分割され、争いを繰り返していましたが、
660年7月、百済はついに新羅・唐の連合軍に亡ぼされ、
かつてから親交関係にあった日本へ救済の要請を。
そこで、翌661年斉明天皇は、百済を救済するため
福岡県の朝倉に都を遷したとされています。

朝廷のほとんど全ての人員と機能を遷したとありますから、遷都だったのでしょう。
橘の広庭公園(朝倉インターから北側あたりの山裾)がその場所ではと言われています。
福岡県の朝倉が日本の都だった・・・ ビックリですよね~ 
ちゃんとウィキベディアに掲載されていますよ。

しかし、斉明天皇は長旅と百済救済のご心労からか、朝倉に着いたものの、
百済への援軍を出発させる前に、この朝倉の地にて御崩御なされました。



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↑では、神社の裏手に回ります・・・



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↑この裏手が木の丸殿跡です・・・ 中大兄皇子、のちの天智天皇

御崩御なされた母の斉明天皇を弔うため、この山腹に、木の皮の着いたままの丸太と
葦で編んだ、粗末なムシロ(苫:とま)を乗せて作った木の丸殿を立てられました。
そして、一日を一月として、12日間で一年間の喪に服されたのです。

これで、なぜ、大化の改新の中大兄皇子が、この朝倉に来られたのか
なぜ、粗末な小屋で雨に濡れながら母の喪に服されたのかがおわかりだと思います。

この恵蘇八幡宮では、その後、応神天皇のみならず、斉明天皇、天智天皇も祭神として
祀られることになります。


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↑階段を上って神社の裏手に行きます。



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↑階段を上ってきました~

曇りですが、ぽつぽつ雨が降りそうな三月のお天気でした。

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↑先の方はなんだか丸い古墳みたいになっています・・・



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↑斉明天皇が一時、安置なされていた御陵山です。

聖地ですから、静かに敬いの心を持って拝見させてもらいました。

歴史秘話、まだ続きますよ~






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